
人間は1日に何万回もの思考をすると言われていている通り、私たちは毎日、様々な思考が巡ります。
しかも1日の思考のうち、90%以上が前日と同じ内容の繰り返しで、さらにその思考の80%はネガティブ寄りであるとも言われています。
そして、当たり前のように物事を「自分で考えている」と思い込んでいますよね、でも本当にそうなのでしょうか?
実際には、思考は自動的に次々と湧いてきていて、それに意識が引っ張られているというだけの状態かもしれません。
もし、本当に自分の意志で考えているのなら、思考を止めることもできるはずです。
しかし実際には、1分でも考えない状態でいるのはほぼ不可能なことではないでしょうか?
これは脳科学の世界でも確認されていて、私たちが「決断した」と思うより前に、脳はすでにその動きを始めているのです。
つまり「自分で決めた」と思っていても、実はそれは後づけの錯覚に過ぎないかもしれないのです。
例えば、レストランでメニューを決める時に「ハンバーグを選んだ」という体験も、ハンバーグを選ぶ思考がやってきただけで、主体的に選んだわけではないのです。
この驚くべき事実を受け入れたとき、人は大きな解放感を得られます。
しかし、ほとんどの人は「自分がやっている」という幻想を手放せずに、反発したり否定したりします。
わからないことに直面すると、人は無意識に怒りを感じたり、他人を批判したくなったりするものだからです。
でも、重要なのは「何も理解していない自分」に正直になること、そして「起こることはすべて現象であり、そこに体験者はいない」という視点を持ってみることです。
ここで大切なのは、現実の中で自分の視点を切り替えて「体験している個人」と「体験そのもの」とを切り離して見ることです。
これは、自己啓発や願望実現のようなお話ではなく、「本当の自分とは何か」に気づくための重要な部分です。
この世界は“思考”が作り出した仮想現実
「この身体が私だ」と思い込んでいる意識の集積が、いわば『人間業界』という世界を生み出しているのです。
これは、実際には存在しない都市が海の上に浮かび上がるように見える、蜃気楼のような現象に似ています。
それと同じで、「人間としての私」も、実は思考によって作られた幻想なのです。
見えてはいるけれど、実在しているわけではない──この事実に触れると、多くの人が混乱したり、イライラしたりします。
それは、思考が「理解できないもの」を排除しようとする働きを持っているからです。
理解できないからこそ、否定し怒りを感じ、「間違っている」と決めつけた方が楽なのです。
でも、実際には「ある」と「ない」は対立する概念ではなく、同じものの異なる表現にすぎません。
これを思考で理解しようとすると脳がフリーズしてしまうのも当然です。
でも、この一見“よく分からない話”は、実際の体験を通して、いつの間にかスッと腑に落ちてくることがあります。
これこそが、この「人間ゲーム」の面白さの一つ。最初はまるで意味不明だった話が、ある日突然、深い理解として訪れるのです。
人はなぜ「正解」を探し続けるのか?
ドラマの中には、真実というものはチリ一つありません。始まりがあって終わりがある、それだけです。
「現実=ドラマ」という視点に立つと、あらゆる正解探しはドラマの一部に過ぎず、それを超えるにはゲームを見破るしかない、という気づきが浮かび上がってきます。
人生において、スピリチュアルやヒーリング、願望実現など、あらゆる領域に手を出してきた人々が行き着く先、
それは「どこに行っても正解があるようで、しっくりこない」という感覚ではないでしょうか。
「正解がある」と仮定しないと、人間社会のゲームは成立しません。でも、その正解はどこまで行っても見つからない──。
謎がある。答えを探そうとすると、見つからない。でも、それでも探し続けるのが人間という存在なのです。
だからこそ、探すことそのものがゲームであり、人生の意味なのです。
正解のための探索ではなく、人生は、正解を探している自分を味わう旅なのです。
自我の目覚めと“私”の始まり
では、私たちはいつから「この身体が私だ」と思い始めたのでしょう?
それは、赤ちゃんとして生まれてから少しずつ始まります。
手足をバタバタと動かし、やがて「自分の手」がどこからどこまでかを認識するようになります。
これは自我の訓練で、体を動かしながら、「ここまでが自分、そこからは他人」という境界線が築かれていきます。
さらに成長するにつれ、言葉を覚え、母親や周囲から「これはママ」「これはあなたの手」といったラベルを教え込まれていくことで、「自分とは何か」が少しずつ構築されていきます。
こうして、私たちは自分の身体を「私」だと思い込むようになり、気づいた時にはすでに人間をやっていたのです。
「本当の自分」とは?
私たちが「これは自分だ」と思い込んでいるその意識は、本当の自分ではありません。
真の自己とは、身体を「自分」と認識する前の存在。言葉も概念も持たない、純粋な意識の状態──。
実は、これは古代から伝えられている真理です。
数千年前から「人間という存在は実体ではない」という気づきを得た人たちがいました。
そして現代、私たちのように「何かおかしい」と違和感を持ち始める人々が、ようやく増えてきているのです。
「悟り」や「覚醒」と聞くと、とてつもなく特別なことのように思われがちですが、実はその逆です。
幻に過ぎない「人間という存在」をリアルに信じ続けている、その錯覚の力こそがすごいのです。
幻想に気づくために、感情と向き合う時のヒント
私たちには日々、ストレスや怒り、不快感などの様々な感情がやってきたりします。
でも、それらの感情もまた、思考がラベルを貼ったエネルギーにすぎません。
例えば「イライラ」も「悲しみ」も、本来はただのエネルギーですが、それを「嫌なもの」と判断して遠ざけようとすると余計に苦しくなるのです。
コツとしては、「感じようとする」よりも、「そのエネルギーの中に飛び込んでみる」こと・・・
(※これは、周囲にそのエネルギーをぶつけたり撒き散らしたりすることではありませんのでご注意!)
「こういう感情が起こったんだな〜」と、エネルギーそのものである私と完全に一体化することで、その感情は自然と消えていきます。
もちろん、これは一朝一夕にできることではないですし、毎日の中で少しずつ練習していく必要があります。
でも幸いなことに、ムカつくことやイラッとする出来事なんて、意識しているとけっこうあったりするものです。
それがすべて、練習のチャンスなのです。
さいごに
この『人間業界』という幻想を少しずつ見破っていくこと、それが私たちの“心の旅”です。
ときには混乱し、抵抗を感じることもあるでしょう。でも、それすらも旅の一部。
もし、繰り返し人生につまずいたり、苦しみの多いこの世に疑問を感じていたりして、この世界の本当の姿を切に知りたいと願うなら、「本当の自分」に還るというこの冒険を、ぜひ選択肢に入れてみてください。