
特別なことが起きたわけじゃない。
悩みが消えたわけでも、人生の答えが見つかったわけでもない。
だけども、なぜか今日は少し楽しい。
理由は分からないけれど、悪くない。
・・・というような感覚は、誰にでも訪れることと思います。
でも、意外とすぐに打ち消されてしまったりもします。
「気のせいかな」
「またすぐ不安になるかも」
というように無意識で感じ、
さっきまであった心地よさは、そっと奥へ引っ込んでしまう。
実はこの「理由のない心地よさ」こそ、とても大切なもので、
スピリチュアルな言葉で言えば
エネルギーが整っている状態、
意識が軽く、流れがスムーズな状態、
そして、それ以上にしっくりくる表現をすると
それは、意識が「今」に戻っている状態と言えます。
私たちは普段、ほとんどの時間を「今」以外の場所で過ごしています。
過去の後悔。
未来への不安。
こうなりたい自分、こうあるべき自分。
意識がそこに向かうたび、
体は緊張し、呼吸は浅くなり、
心はどこか忙しくなります。
逆に、ふっと楽しい、
理由はないけど心地いい、
そんな瞬間は
意識が珍しく「今ここ」に降りてきています。
言葉で表すなら「何も起きていない」「ただ、ここにいる」
それを、体と心が同時に感じている状態。
悟りや覚醒という言葉を聞くと
何か特別な体験を想像する人も多いかもしれないが、
派手な光や、劇的な変化を指すのではなく
着地点がとても静かであることに気づきます。
だから、楽しい気持ちも、安心感も、大きく主張してこない。
静かで、ささやかで、気を抜くと見逃してしまうほどかもしれません。
この静けさを、少し怖いと感じるかもしれません。
何も考えていない自分。
何も求めていない自分。
まるで、成長していない証拠のように思えます。
もっと学ばなきゃ。
もっと気づかなきゃ。
もっと変わらなきゃ。
そうやって、「今ここ」にいる自分から
少しずつ離れていくのです。
でも、どれだけ知識を増やしても
どれだけ深い概念を理解しても
心が休まらないなら、
それはベクトルの向きが違うのかもしれません。
楽しい気持ちというのは、
感情の高ぶりだけを指すわけじゃないですよね。
静かで、穏やかで、「無理がない」状態。
体が「今なら大丈夫だよ」と
言っているような感覚。
もし今、理由は分からないけれど
少し軽い、少し安心している、そんな感覚があるなら
それは、何かを達成した結果ではない。
努力のご褒美でも、気づきの到達点でもない。
ただ、本来の位置に戻っただけ。
頑張りすぎると「今ここ」からずれていきます。
正しくあろうとしすぎても、
良い人でいようとしすぎても、
成長し続けようとしすぎてもです。
だから、理由のない心地よさを感じたとき、分析しなくていいのです。
スピリチュアルな言葉に当てはめなくてもいいし
意味づけしなくてよい。
ただ、「あ、今ちょっと戻ってきたな」と思うだけでよい。
意識は、気づいた時に、また「今」に根を下ろします。
余計な緊張がほどけて
すでにここにいたことを思い出す。
楽しい気持ちになりたいとき
何かを足そうとしなくていい。
動画を見て、情報を集めて、刺激を増やさなくてもいい。
今はこの文章を読んでいる、その感覚に注意を向けてみる。
ほんのわずかな「心地よさ」、
それは小さくて、控えめかもしれないが、でも確かなもの。
その感覚を、「これでいい」と認める。
それだけで、意識は静かに整い始める。
変わろうとすること、ではありません。
理由のない心地よさを、そのまま味わう。
それはもう、十分にスピリチュアルです。
それで過ごせば、大体大丈夫です。